33.熊野町_2020.6.3

2020年06月03日

自宅から歩いて熊野町1に出る。なんてん軽食、すき家から道路交差付近に石丸梧平と深田興平次の 記念碑が有る。日本の宗教思想家、大阪府生まれ。教員となり、その後小説など執筆活動を始め、青年に 対する。教育的・啓蒙的なものを多く書いた。雑誌「人生創造」を刊行した。 「人生に結論なし、ただ創造の一途あるのみ、意味は発見し得る者にのみ輝く」 天竺川、熊野田歩道橋、ノムラクリーニング コインランドリー、から王将が見える。八坂神社入口に 石の大きな柱が有る。アミューズエステート、熊野町東、第2泉ヶ丘スカイハイツ、豊中大阪祭典ホール、 第十五中学校から八坂神社に出る。熊野東公園、専宗寺、石本診療所から道路交差点に地蔵が有る。 熊野田会館、ジャパン、おもちゃロビンフット、太陽ティックから佛眼寺、熊野田共同墓地に出る。 熊野町4、熊野変電所、HEIWADOフレンドマート、ユーロハイツ、FRESCO,日本水理㈱、第2シティハイツ 八坂神社:986年花山法皇が仏眼を導師として観音の霊場を巡拝していた時に、紀州熊野に似た「くす谷」 山に熊野権現を祀ったのに創まる。1506年足利義澄が小野資広に命じ社殿を再建。1871年に今の社名 八坂神社に改めた。1979年に大鳥居、注連鳥居が奉献された。獅子神事祭は豊中市の無形文化財に 指定されている。熊野権現は熊野町の名前の起源になったといわれる。